究極ウンチ地獄絵図

逃げ場なし

年の瀬にテレビゲームの難易度設定へ想いを馳せる

2023年12月24日

親指を眼球に押し付け、上あごを四指でめくり上げている私たち。聖夜に「セイヤっ!!」と啼く哭悲(the sadness)がこだました。

同日、漫才王者決定戦M-1グランプリが開催されていました。いつの頃からかサイゲームズがスポンサーになり、番組途中に流れるプリコネ、シャドバ、ウマ娘等のゲームのCMをニタニタ見るのが年の瀬の楽しみになっています。

もちろん観てます、芸人さんがしのぎを削って漫才するところも。面白かったです。

そして今回のM-1グランプリで気になったのはツカミの部分。

出囃子後、三八マイクの前に立った刹那ボケが始まる。という入りが多く感じたのが総評として心に残り、「機先を制するようなお笑いのスタイルが主流なのかな」と思わせるような大会でした。

 

「とりあえず一発かます!」というのは創作のテクニック本の中ではよく出てくるもので、ゲームクリエイター桜井政博さんも自身のYouTubeでおっしゃっていました。

youtu.be

スロースタートの導入は面白くないというわけではありませんが、ゲームをするために座ったのにゲームに触れられないというのはもどかしいので、個人的にもこの意見には肯定派。

 

で、肝心のゲーム難易度のお話。

私は難易度とはゲームとプレイヤーとの距離感だと思っています。

「難しい」は少し離れた距離感をプレイヤーが歩むこと。
「易しい」はプレイヤーがゲームの楽しさをより近くで感じられること。

苦手でも得意でも、ゲームとの距離感が適正なら楽しむことができる。難易度設定はそういった製作者の意図が伝わってくるような素晴らしい仕組みであると私自身は解釈しています。

ファイアーエムブレムーエンゲージーより

しかしRPGに限らずこの難易度設定画面ですが、ゲーム性らしいものに触れていないプレイ前に現れることが多いように思います。

一口に難易度と言っても、「イージーでも全滅した」「ハードでも余裕」といった感じでゲームそれぞれの内容やプレイヤーの力量によって字面の限りではないこともしばしば。

難易度を設定するその前にゲームに触れるシーンを設ければ、ゲームとプレイヤーの適正な距離感が測れるのではないかな~、と。

 

その点RimWorldは難易度設定の前に一通りチュートリアルをプレイさせてくれたので、それを参考にして易しいめな難易度とストーリーテラーで始めました。

易しいといいつつシムゲームの操作に不慣れであり、おっかなびっくりプレイしています。

イベントが特に起こらなくても「やりたいこと」が次から次へと出てくるプレイヤー始動のゲームなので、とても忙しくて、でもこの忙しさが面白い。

我がコロニーはたまたま鉱山を背にしておりクマ団(盗賊)が攻めてくる方向が大体絞れており、かなり安全なコロニー生活を送れています。

常に空腹で可哀そうだな、と思っていたら入植者がもう一人増え「食肉か……」と思っていたところに米が育ちその危機を脱して、現在は間欠泉を目指していおります。

 

閑話休題、そして最近のRPGなどでよく見かける難易度設定のこの一文。

「ストーリーを手軽に楽しみたい方向け」

主にイージーモードにて記されることの多い一文ですね。

ブレイブリーデフォルト2より

イージーモードが、かつてはゲーム初心者さんや私のようなぶきっちょの為の救済的設定のイメージから、今では「スピーディにゲームをクリアできるモード」という意味付けが強くなってきたような気がします。

「易しい」という意味ではなく、「気軽な」という意味のeasyという側面も出てきた、ということですね。

昨今の娯楽や流行の消費スピードは驚異的ではありますが、テレビゲームも例に漏れないということをひしひしと感じます。

 

しかしながら、気楽に始めたゲームに心奪われることもある。又はその逆も。

すれ違いで初見プレイ素晴らしさを減らしてしまうようなことを防ぐという点においても、ゲーム難易度設定はある程度ゲームに触れてからの方がいいのではないかと感じます。

 

私が大事したい「早さ」とは単なる「素早さ」ではなく心の機微を逃さない「機敏さ」だと記事を書いていてはたと気づきました。

 

来年もゲームや物語などのロマンを追いかけていきたいです。